2008年08月10日

新たな人生を

2008年7月20日(日)目黒雅叙園にて人前結婚式と結婚披露宴を多数の列席者の皆様に温かく見守っていただき無事に行うことが出来ました事をここにご報告させていただきます。
http://www.sanspo.com/geino/news/080721/gnb0807210432000-n1.htm

主賓として列席くださる予定の日本ラグビー協会会長・森喜朗元総理が、国務のスペイン訪問が急遽決まったため、代役として馳浩先生から力強い素晴らしい祝辞を頂きました。

馳浩先生ご自身のブログで詳細を語って頂いております。
http://hasenet.org/i/i-diariy/i2008/i07/i0720.html

列席者のお一人お一人が温かく優しい空気を創って下さったお陰で、新たな人生を踏み出す幸せをかみ締める事が出来、たいへん感謝しております。

さて、現役引退を発表してから、明治大学の先輩から、「弱小になってしまった横河電機を復活させるのは吉田しかいない」とまで言って頂きラグビー部ヘッドコーチのオファーを頂きました。

プロ契約か社員かの選択を迫られたところ、迷い無く社員に決めました。
何故なら、選手の殆どが社業とラグビーを両立しており、そのスタイルが素晴らしい事だと共感していたからです。

時代は遡り、大学生の僕が他企業からの誘いを断り伊勢丹に入社した理由。
僕に初めて会った方は、必ず聞きたがる質問です。
ここではっきりしておきましょう。

若気の至りなのか、怖いもの知らずなのか、強豪チームのコマになりたくない、元々、完成しているものに便乗したくない、弱いチームを引っ張って自らの力で改革したいという事ばかりに感心が向いていました。

それに加え、ラグビーにプロが存在しなかった時代、ただひたすらラグビー
だけに夢中に駆けてきた自分は一体、将来何で生きていけるのか、どんな社会的能力を発揮できるのか見出せないジレンマがあったのです。

そこで、伊勢丹担当者から「百貨店には百通りの仕事に携われる。その中から自分のやりたいことを見つけ出せばいい」と非常にインパクトのあるポジティブなアドバイスを頂いたことが、心を大きく揺さぶったのです。

もちろん、ファッションにも興味があった世代でもあり、社風や人に魅力を感じたことは言うまでもありません。

その時に百貨店マンとして悪戦苦闘した経験が今の僕を創り上げてるのです。
当時、フジテレビの「デパート夏物語」という連続ドラマで、吉田義人をモデルに脚本を・・と主役の高嶋政宏さんたちが僕に会いに来てくれた事も懐かしい想い出です。

今、振り返れば、ラグビーだけでなく様々な経験を積ませて頂けた僕は本当に恵まれて来たと思います。
それはラグビーというスポーツを選んだ人生に悔いがないという事でもあります。

だからこそ、二足の草鞋で頑張っている横河のメンバーと同じ環境、同じ土俵で指導に取り組むことが最低限の心得だと思ってました。

ヘッドコーチ就任してから4年間、ただがむしゃらにチームを強くする事だけに集中して身も心も捧げて来ました。

更に、今年度はトップリーグ昇格と並行して、社業でも認めて頂き、最年少部長に昇格させていただき、たいへん栄誉なことで自分でも非常に びっくりしました。
入社後間もなく自ら提案して立ち上げた社会貢献室の業務のキャリアを積ませて頂いてます。

タイミングを見て公表するつもりでしたが、ラグビー部の現場は今期からは後輩のレオラファイアリ以下に任せることになりました。
合宿や練習には全く参加せずに、距離を置いて客観的に見守っています。

それは、新たに任せられた社業に今は責任を持って集中したい事と、新たな最愛の家族のために、一回りも二回りも大きい人間に成長したいことが理由でもあり、今の僕のにとって善き修行です。

現在も尚、いろいろな方々から指導者としてのエールを頂きありがたいのですが、横河ラグビー指導に今期は吉田義人は一切関わっていないことをこの場を借りてはっきりとお伝えしておきます。

可愛い後輩たちにはトップリーグという桧舞台の楽しさと厳しさを存分に味わって、悔しい思いもしながら、どんどん失敗を繰り返して、人間を磨いて行って欲しいです。

これからの吉田義人は広い意味で世の中にラグビーの魅力を伝える伝道師として活動の幅を広げていくことに尽力していきたいと思っています。











posted by 吉田義人 at 02:55| Comment(5) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。